![]() 小島聡 |
![]() 中西学 |
![]() アントニオ猪木 |
![]() グレートムタ |
![]() 蝶野正洋 |

| メーカー | BANDAI | 発売年 | 1997 |
|---|---|---|---|
| 販売形態 | 玩具 | 税込価格 | |
| 種類数 | 5体入全1種 | 所有数 | 5体 |
| 新日本プロレスリング株式会社 | |||
これは、キーフォルダーのついたタイプのものです。ついている人形そのものは指人形形態となっていますが、穴のあけ方が丸のものと輪郭にそったものの2種類ありますから、既存の指人形をキーフォルダーに加工したものではないかと思われます。
| 1971年12月、日本プロレスに対してクーデターを画策したとしてアントニオ猪木が日本プロレス選手会を除名、日本プロレスから永久追放された。その翌年の1月に猪木が設立したのが新日本プロレスである。同年3月6日に大田区体育館で旗揚げ戦を開催した。設立当初は魁勝司、山本小鉄、柴田勝久、木戸修、藤波辰巳、豊登、カール・ゴッチ(選手兼ブッカー)、ユセフ・トルコ(レフェリー)らが参加した。73年にはNETテレビ(現テレビ朝日)が新日本プロレスの中継を開始し、人気が高まっていく。 |
| 小島聡 | 1994年、ヤングライオン杯で全勝優勝を飾り、海外遠征に出発。1996年にアメリカから凱旋帰国し中西学とブル・パワーズを結成、IWGPタッグ王座を獲得するなど活躍する。得意技はウエスタン・ラリアット。 |
| 中西学 | 1996年9月に小島聡とともにアメリカから凱旋帰国。1997年に小島聡とのタッグ、ブル・パワーズとしてIWGPタッグ王座を獲得するなど小細工なしの直線的なパワーファイトでタッグ戦線を中心に活躍した。得意技はアルゼンチン・バックブリーカー。 |
| アントニオ猪木 | 1972年に「新日本プロレス」を旗揚げ。テレビ中継などもあいまって、プロレス人気の立役者となった。プロレスのみならず「異種格闘技戦」を多数開催し、総合格闘技の礎を築いた。特に1976年のモハメド・アリ戦は有名である。1998年に引退。得意技としては卍固め(オクトパス・ホールド)、延髄斬り(闘魂キック)などがあげられる。 |
| グレートムタ | 武藤敬司扮する忍者をモチーフにした日本のペイントレスラー。マネージャー兼ブッカーのプレイボーイ・ゲーリー・ハートによってプロデュースされた。ギミック上は武藤の第二の人格とされ、魔界の住人という設定である。 |
| 蝶野正洋 | 海外で武者修行を行った後、1989年に凱旋帰国し、一躍スーパースターに上り詰めた。その後、1994年に「ヒールターン」を果たして更なる人気を得た。得意技はケンカキック(ヤクザキック)。 |